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平(たいら)和(かず)

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N氏がくれた宝物

クリスマス前のある朝、メールをチェックしてしばし呆然となった。訃報。それは日本語教師養成講座の恩師、Nコーチだった。「コーチ」だって?スポーツクラブじゃあるまいし、と思われるかもしれないが、「先生」と呼ばれるのを大変嫌われた方だったので苦肉の策で「コーチ」と呼ぶことにしたのだ。(今日はN氏と呼ばせて貰おう。)

N氏はまだ「日本語教師」という職業が世の中に知られていない時代に日本語教師養成学校を創立された。まだ学生だった私はその学校の広告看板を駅のホームで偶然見て、「何だろ?これ?」と興味をそそられたのだ。そしてこの学校に通ううちに日本語教師をやってみよう、と思うようになり、たまたまオーストラリア大使館に勤めていたクラスメートが、それなら是非豪州にしなさい、と勧めてくれた。それが私がシドニーに来て夫と出会い、国際結婚をし日本語を教えながら海外永住することになった発端である。あの時あの駅であの広告を目にしなかったなら、私はおそらく今も日本で、多分日本人のサラリーマンと結婚して、平々凡々な暮らしをしていただろうな、と思う。つまりN氏は私の人生を180度ぐるりと転換させてしまった。

人と人の関わりは面白いと思う。一人のある行動が他の誰かの人生にこんな風に思いもよらない影響を与え、それは波紋のようにどんどんと広がっていく。が、N氏からの影響は表面的なものだけではなかった。彼はあらゆる意味で二十年くらい先を行っている人だったと思う。日本語教師の養成、という思いつきも日本語の大ブーム到来よりずっと前だったし、今、昔のニュースレターを読み返してみても、最近よく耳にする「気づき」というコンセプトが既に提唱されている。「人を追いかけていれば必要なお金などついてくるものだ」などと言われても、まだ若かった私には「そんな馬鹿な!」としか思えなかったが、この年になって頷けることも多々ある。

教師養成にも彼の信念が通されていた。最終試験は在日外国人を前に実際に授業をすることであり、生徒である彼らに点やコメントを貰った。発声は?表情は?説明の仕方は?手作り教材は?ユーモアは?これはまさにプロの教師が現実に受ける評価そのものであった。だから私は今も知識の詰め込みの傾向が強い「日本語教師能力検定試験」にあまり賛成できないのかもしれない。

養成学校を後継者に譲った後もN氏は翻訳や英語教室や、又新しい地での日本語教師養成など自分の情熱である分野に貢献し続けた。自分の哲学を持ち、それを確信し、走り続けた人だが、反面いつも温和で、生徒の誰一人として陰口を言うことのない素晴らしい先生、いや、コーチだった。

あまりにも酷い労働条件や待遇に、「日本語教師なんかもう辞めてやる!」と何度も思った私だが、今また昔のニュースレターからN氏がメッセージを送って来る。「日本語教師がどれほど社会と世界に役だっているかは数え上げるまでもありません。これこそ人生最高の職業です。」そうだ、やはりN氏はコーチのほうがふさわしい。私のライフ・コーチだ。彼の言葉はこれからも私の人生に影響を与え続けていくのであろうから。