ジスイズアペン
教科書には時たま変な例文や練習問題が出ていることがある。例えばこれ。
「これは名刺ですか。」「いいえ、名刺ではありません。本です。」
これ、変だよね?というといつもクラスがどっと笑う。名刺と本の区別がつかないような人がいるのであろうか。他にも例の「これは何ですか。」「電話です。」「それは何ですか。」「時計です。」よっぽど何か他の物の形をしていて、「それが実はね、ホラ、これ、時計なんですよ!」という状況ででもなければ、こんなこと言うはずがない。日本語の教科書ではいまだに存在するこの「ジスイズアペン」の世界は、コミュニカティブ・アプローチの概念からはかけ離れたものである。何かわかっているのに「これは何?」と聞くわけがないし、そこには「答えを知りたい」という意欲が完全に欠落している。いくら文型練習とはいえ、白々しく面白くも何ともないものになってしまう。そこで昔は、オーストラリアにまだテレホンカードがなかったので、日本のを持参して「これは何ですか、名刺ですか。」などとやっていた。これで少なくとも学生は「え?そうかな。似てるけど、なんか小さい穴があいてるし・・。」と少し考えなくてはならなくなった。そして、「一体何なんだろう?」という興味が湧いた。その後こちらでもテレホンカードが出来、今はもう携帯の時代になってしまったが、いまだに「これは何ですか。」の練習にはひと工夫しなくては、と思ってしまう。
「これは名刺ですか。」「いいえ、名刺ではありません。本です。」
これ、変だよね?というといつもクラスがどっと笑う。名刺と本の区別がつかないような人がいるのであろうか。他にも例の「これは何ですか。」「電話です。」「それは何ですか。」「時計です。」よっぽど何か他の物の形をしていて、「それが実はね、ホラ、これ、時計なんですよ!」という状況ででもなければ、こんなこと言うはずがない。日本語の教科書ではいまだに存在するこの「ジスイズアペン」の世界は、コミュニカティブ・アプローチの概念からはかけ離れたものである。何かわかっているのに「これは何?」と聞くわけがないし、そこには「答えを知りたい」という意欲が完全に欠落している。いくら文型練習とはいえ、白々しく面白くも何ともないものになってしまう。そこで昔は、オーストラリアにまだテレホンカードがなかったので、日本のを持参して「これは何ですか、名刺ですか。」などとやっていた。これで少なくとも学生は「え?そうかな。似てるけど、なんか小さい穴があいてるし・・。」と少し考えなくてはならなくなった。そして、「一体何なんだろう?」という興味が湧いた。その後こちらでもテレホンカードが出来、今はもう携帯の時代になってしまったが、いまだに「これは何ですか。」の練習にはひと工夫しなくては、と思ってしまう。

