シドニーに来て挙式をする日本人観光客を手伝うバイトをやっていたことがあった。そこでは日本語と英語ができる日本人もしくはオーストラリア人が雇われていた。ある日私はオーストラリア人女性Kと働く機会があった。彼女の日本語はなかなかうまかった。笑顔で「ありがとうございま〜す!」「よろしくおねがいしま〜す!」と、接客も感じがよい。午前中の仕事が終わり、客も帰った後で、彼女はもう一人のオーストラリア人と休憩をとりに行った。たまたまその場に居合わせた私は驚いた。彼女はタバコに火をつけるなり、さっきとはうってかわった低音の声で、話しだした。英語を聞いていてもなんだか品が悪く、前の可愛さは全く感じられない。まるで別人だ。
つまり彼女は日本人の前では日本人に受ける、可愛い女を演じていたのだ。恐らく日本で生活した時に身につけた処世術なのだろう。異文化でのサバイバル法として、このように「本当の自分」を捨てなくてはいけないことは頻繁にあると言ってよい。考えてみると、日本にいながらも、これはあるのではなかろうか。会社の上司の前では可愛い女の子、しかしアフター5は全く違うヒト。
オーストラリアでいつも「日本人」をやっていてはとても生活していけない。遠慮しないでどんどん自己主張しないと無視されて、損するばかりだ。しかし毎日それをやっていると日本人同士になっても日本に帰っても、なかなかもとに戻れなかったりする。英語の調子でダイレクトな会話をしてから、あんな言い方しては失礼だったかな、とはっとすることもある。価値観も変わっている。日本で何かを見て「えっ!こんなこと、オーストラリアでは絶対許されないわっ!」と思うようなこともある。(帰国子女の悩みもこのへんにあるのではなかろうか。)
一番困ったのは、日本語教師の仕事の面接に行って、面接官が、オーストラリア人一人と日本人一人だった時だ。オーストラリア人とは握手、しっかり目を見ながら自分がいかに素晴らしいか(!)、説得しなくてはいけない。日本人の面接官には丁重にお辞儀をし、自分の能力については控えめな表現で答える。しかしこれを、同じ部屋で同時にするのだから、なんだかどれが本当の自分なのかわからなくなってきてしまった。完璧なバイリンガルもなるのは難しいが、完璧なバイカルチュラルはそれにも増して至難の業だ。
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